小さい白いにわとり

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私が小学1年生の時の、国語の教科書の中に、忘れられない話があります。

それはこんな話です。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「この麦、誰がまきますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで麦をまきました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「この麦、誰が刈りますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで麦を刈りました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「誰が、粉にひきますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで粉にひきました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「誰が、パンに焼きますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりでパンに焼きました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「このパン、誰が食べますか。」
豚は「食べる。」と言いました。
猫も「食べる。」と言いました。
犬も「食べる。」と言いました。


ここで先生が質問。「さて、この後、にわとりさんはどうしたと思いますか?」

クラスでディスカッションをしました。

「豚さんたち3人はずるい」というのは、みんな共通の感想でした。でも、にわとりさんがどうしたのかについては、クラスが真っ二つに割れました。

「食べさせなかった」という派。
「食べさせた」という派。

そして、当時の私は、誰が何と言おうと「食べさせなかった」派でした。それまで手伝いもしないで、良い結果だけ味わおうなんて、不届き千万。働かざる者食うべからず!

しかし、先生は結局「答え」は言いませんでした。だからこそ、未だにこの話が心に残っています。

今でも


「いったい、にわとりさんはどうしたんだろう」と、今でも時々考えることがあります。

そして、もしかしたら「食べさせた」のかもしれないと思うようになりました。

でも、やっぱり「食べさせなかった」のかもしれない。

その時々の気持ちで、私の答えもくるくる変わります。

にわとりさんは……私の心を映す鏡なのかもしれません。

患者さんは心を移す鏡


そして、うつ病の患者さんも、私たちの心を映す鏡です。

患者さんを見ていると、いろんな感情が引き出されますね。

そして、嫌でも自分自身の心と向き合わされます。

でも、それが自分自身の成長とか解放とかにつながるし、それに応じて患者さんへの接し方も変わってきます。少なくとも、私はこれまでそうでした。


小さい白いにわとりは、さてその後、いったい何をしたのでしょう。

コメント
この記事へのコメント
今でも強烈に覚えています
小さい白いにわとりの話は、わたしが小学校低学年の時に教科書で読んだ話で「ホースの白い馬」と同じくらい感動したのを覚えています。私は、みんなのために粉を挽きパンを焼き、みんなが食べたいといったらみんなでパン食べる人間になりたい、と思いました。食べたいひとがいたらいつでもみんなで分け合って食べよう、それが人として自分としてあるべき姿なのだと思っていました。そして最近まで、それはかわりませんでした。でも最近あることに気づきました。私はまちがっていたのではないかということです。ひとりで粉を挽き、パンをこね、パンを焼いて、出来上がったパンを一人で食べたいと思うときも人はあるでしょう。そう思ったときは「ごめんなさいね、きょうは一人でたべるわ」というのも大切なことだということです。肩のちからをぬいて、わたしは自分のためにパンをやいたの、そういえる自分も認めなければいけないとおもうようになりました。
2014/03/15(土) 05:48 | URL | kirie fukuda #-[ 編集]
今日は一人で食べる
kirie fukudaさん。

そうですね。そして、それは自己中心ということとは違うと思います。

そうやって一人で食べることが「できなかった」人が、一人で食べることを自分に許可できるようになると、心から喜んで他の人とも一緒に食べることができるようにもなるのでしょう。

このブログで繰り返し書かせていただいていますが、「溺れている人は溺れている人を助けられない」です。自分を大切にできていて、始めて他の人のことも大切にできるのだと、私はこれまでいろいろなケースを見聞きして、そう思います。
2014/03/15(土) 07:47 | URL | 増田泰司 #tZDc9YLU[ 編集]
溺れているときは
私は、ずっと「いい子ぶりっこ」でした。いい子なのではなく「ぶりっこ」がつきます。その「ぶりっこ」の自分がたまらなく嫌いでした。だからいつか自分は本当のいい子になりたい、と思っていました。でもそうでしょうか?私はキング牧師でもなければマザーテレサでもない。(もちろん世の中には「いい人」っています。それが自然にできる人っています。そのあり方が、その人の存在理由が人を幸せにする人っています。でも残念ながら私はそんな崇高な人間ではないことを自分が一番よく知っています。)いつも私の生き方は、どこかで不必要に真面目でした。いつもたてまえばかりで、自分の本音は親や先生にさえも言ったことはなく、本当の自分は世の中とどこかで歯車が合いませんでした。「今日は一人でたべるわ」と言ってしまうときらわれるのではないか、勝手だとおもわれるのではないか、本当はそんなことがこわくて、みんなとパンを食べていたのではないか。そんな風にびくびくし「いい子ぶりっこ」して生きてきました。

「いつか人のために生きたい」と思って生きてきましたが、そのためにもまず自分を大切にしよう、世の中と歯車が合わなかった自分を自分は好きになろう、と最近思うようになりました。

溺れているひとはみな助けるんだっ!と意気込んでいた自分はどこかで傲慢だったのだと反省していますが、必要以上にそのことで自分を責める必要もないのですね。そしてこれからは、溺れているときは、「助けて」と言おうとおもいます。「助けて」が言えてはじめて「助ける」ことの意味が理解できるのかもしれません。

溺れている人は溺れている人を助けられない、そんなことにきづくのに自分はずいぶん時間がかかりました。
2014/03/15(土) 12:59 | URL | kirie fukuda #-[ 編集]
「ホースの白い馬」ではなく、「スーホの白い馬」ですよね(笑)まちがえました。
2014/03/15(土) 13:03 | URL | kirie fukuda #-[ 編集]
最後は…
みんなでパンを食べました。

でした。
当時は?でしたが、まるでお母さんですよね、小さい白いにわとりは。

2014/03/18(火) 20:40 | URL | 小町 #BvcCegWc[ 編集]
Re: 最後は…
ネットで調べたら、最後が「みんなでパンを食べました」になっていたというものもありました。もし私が使っていた教科書もそうだったとしたら、うちの担任の問いかけは何だったんだろう……。もうずいぶん昔の話なので、はっきりしませんが。
2014/03/19(水) 07:59 | URL | 増田泰司 #tZDc9YLU[ 編集]
そうですね(^_^)
私の担任は
「みんなが小さい白いにわとりだったら、どうしてたかな?」
と、作文を書かせましたよ。
「わかりません」
としか書かなかったので、強く記憶に残ってます。
わからない、とこたえるのがイヤだったんだと思います。
2014/03/29(土) 20:47 | URL | 小町 #-[ 編集]
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